三重と四国の港町の訛りが似ている。カツオを巡る。食を旅する。

———あのね、紀北(きほく)とね、四国(しこく)の訛りが似とるんです。

三重県北牟婁郡紀北町に暮らす知り合いとの会話で、そんなことを聞いた。
方言や訛り。私は好きだ。温かみのある言葉から垣間見る、その土地の風景。カツオ漁が盛んな紀北町。

紀北町紀伊長島港の風景

「訛りが似ているのは、昔、紀北町と四国でカツオ漁を通じて交流があったのではないか。」と知り合いはいう。SNSの普及などにより、猛スピードで駆け抜けるコミュニケーションに少々疲れる現代。情緒ある話だと思った。

———情緒ある、廻船の時代を想う。

三重県総合博物館(MieMu)調査・資料情報課の藤谷さんに話を聞いた。

MieMuに展示されている三重県外との廻船の歴史

カツオ漁を通じての交流があったかは不明だが、江戸時代には、東紀州は東西の交通の要所として、多くの廻船が行き交った、と教えていただいた。もしかすると、紀北町のある東紀州と四国は廻船で繋がっていたのではないかと思う。

MieMuに展示されている廻船の模型

また、リアス式海岸である東紀州や志摩地方にある港は、入り江が入り組んでいて、天然の良港として風待ちや日和待ちの港といわれ、西日本からの物資を江戸に運ぶ船が立ち寄ることも多かった、と教えていただいた。となれば、私の推測だが、漁師との様々な交流もあり、訛りが似ていることも想像できる。

MieMuに展示されている三重県内の廻船で運ばれていた生活物資

さらに三重県では昭和30年頃まで伊勢湾と熊野灘を結ぶ赤須賀船の往来があった。私はその当時を想った。期待していた物が、遠くの海の向こうから船でやってくる。さぞかし楽しみであったのではないかと思う。当時の浦(漁村)にとって、海は道路や鉄道の代わりでもあった。
そんな情緒ある時代に想いを馳せていたら、港町の風を感じたくなった。いや、本音はカツオの話をしていたら、胃袋が旨いカツオに出会いたくなったのだ。博物館のある津から車で約1時間。紀北町へ足を運んだ。

———ソウルフード、生節。

産地ではどのようにカツオを食すのか。紀北町のある東紀州では、鰹節ならぬ生節(なまぶし、またはなまり節)がソウルフードだと聞いたことがある。

紀北にある海産屋の外観

紀北町にある海産屋の三代目、脇さんのお店に伺った。

海産屋の脇さんとお客さん

すると、そこへ1人のお客さんが入ってきた。

お客さん:お母ちゃんおる?生節ちょうだい。
脇さん:今おらんわぁ。ええ時に来たなー。今ちょうど生節の取材中なん。

紀北町出身で、現在は三重県津市の住宅街に暮らしているというお客さん。お客さんに生節の食べ方について聞いた。

生節の商品写真

生節を3mmくらいにスライスして、あつあつのごはんに乗せる。刻んだキュウリや生姜をその上にかけて、醤油をたらしていただくとのことだ。想像しただけでも、美味しそうだ。また、味噌汁のダシ、そしてそのまま具としても使える。

生節を持つお客さん

お客さん:小さい頃から食べとったから、今でも食べたくなるんです。昔はできたてホカホカの生節を、ここによう買いにきました。

まさに郷土の味、ソウルフードだ。愛郷の味には、この地で過ごした想い出も詰まっている。

脇さん:今からカツオの競りに行くから、付いてくる?

水揚げされるカツオ

次々に水揚げされるのは、近海物で小型のカツオだ。一本釣りのものらしい。

———お父ちゃん先生は「カツオの味がする。」という。

港町を散策していると、1人のお母ちゃんに出会った。

バケツに入ったソウダガツオと港町の風景

青バケツにソウダカツオ。都市部では見かけない風景。オススメの食べ方は?

お母ちゃん:わしはお茶漬けが好きやなー。焼いて少しはお茶漬け用に、少しはお弁当のおかず用。

近くの漁船には漁師である旦那さん。カツオ漁から帰ってきたところだ。
思わぬところで、お父ちゃん先生の「カツオ1本釣り講座」が始まった。

カツオの一本釣り講座の写真1

まずカツオの居場所を探す。辺りが暗いうちは、疑似餌を垂らし船を走らせる。

カツオの一本釣り講座の写真2

アタリがあったら生きたイワシをまくと、カツオが寄ってくる。まいたイワシに勢いよくホースで海水を放水する。するとイワシの群れと勘違いしたカツオがさらに寄ってきて、それを1本釣りで釣りあげる。

カツオの一本釣り講座の写真3

海の中でカツオに追われたイワシは1カ所に集まる傾向にあり、それに寄ってくる群れのカツオを大きなたも網で一網打尽にすくい上げるという。なるほど。漁とは知恵の塊だと驚いた。
ところでお父ちゃん先生、オススメのカツオの時期は?

お父ちゃん先生:桜の咲くころの初カツオも旨いのぉー!カツオの味がする。

最近カツオが大漁だと、お父ちゃん先生は喜んでいた。大きな声と大きな笑顔。印象的なご夫婦だった。

お店でカツオを捌く脇さん

次の取材先への移動中に先ほどの海産屋の前を通ると、脇さんがカツオをさばいていた。

カツオの肝の写真

脇さん:これは肝。うまいんさー。

肝や頭、そして骨などを煮付けにするらしい。これがとてもうまいという。他の内臓は塩辛にできる。まさに捨てるところのない魚だ。

カツオの刺身(短冊)

ちなみにさばいていたのは今朝まで生きていたカツオで、今晩の酒の肴らしい・・。うらやましい限りだ。

———地魚を石焼きで。

民宿の外観

紀北町のある東紀州エリアは伊勢えびやブリをはじめ、実にさまざまな魚種が捕れる。そんな地物を石焼きで食べられる民宿がある。

民宿の内装

レトロな雰囲気を再現した空間。
「海女小屋をイメージしました。」 そう話すのは2代目の垣内さん。

伊勢海老などの海鮮の石焼き

地物を石焼きにすることで、中からむらなく火がとおり美味しく焼けるという。

地魚のコース料理

それにしても、このボリューム。すべて三重の地物だというから驚く。垣内さんの故郷に対する想いと、職人としての意地を感じた。

———魚は、大事だと思う。

日が暮れ始めたころ、とある漁師が港に戻ったと連絡があったのでさっそく話を伺った。

漁師の石倉さん

「今で82歳と9ヶ月です」
笑顔でお応えいただいた石倉さんは、明治時代から続く老舗の網元。石倉一族はその昔、和歌山から紀北にやってきたらしい。そして四国にも石倉一族はおり、今でも年に一度、一族で集まるという。

石倉さんの船
石倉さんが乗っている19トンの船

漁師歴65年。危険はなかったのだろうか。
過去には船頭として39トンの大きな漁船に、50〜60人の漁師を率い、マグロやカツオなどの巻き網漁をしていた。昔は天気予報がなく、ラジオを聞いて自分で天気図を引いていた。しけや台風が予想しきれなかったこともあり、死を覚悟したことも3度はあったという。
しかし漁師を続ける。その醍醐味は?

石倉さん:沖にいるときが一番良い。家にいたら何かしとらんといかんでしょ。

笑顔の石倉さん

そう言って笑顔に戻った。笑顔を見て、地元の漁業の将来を聞きたくなった。
今、石倉さんはお孫さんと漁に出ている。

石倉さん:漁師は減っている。でも地元の若い世代が上手に漁師として生き残ったら、彼ら世代の海になる。魚はいる。勝利者になれると思うのです。

遠くを見つめる石倉さん

ベテラン漁師は、未来へ眼差しを向けている。

石倉さん:めでたい料理には魚が多いです。そして魚は毎日食べられます。魚は大事だと思う。

65年もの間、海と暮らした人間が謙虚に「魚は大事だと思う」という。その言葉の重みを感じ、会話が途切れて沈黙が流れた。私は沈黙に耐えきれず、ふと視線を外すと、港町に暮らす家族が夜釣りをしていた。

港で釣りをする地元の家族

取材をしたのは日曜日。日曜日の夜に釣りに行くという港町の暮らし。
紀北町にきて、当たり前かもしれないが感じたこと。
港町の暮らしに魚があるのではなく、魚が港町の暮らしを作っているのだ。
そして、昼間に出会ったお母ちゃんとの話を思い出していた。

昼間に出会ったお母ちゃん

お母ちゃん:今日の、ここらの家の夕食は、みんなカツオさ(笑)。


(2017年9月24日取材)
企画編集:三重に暮らす・旅するWEBマガジンOTONAMIE
取材:村山 祐介(OTONAMIE代表)

取材協力

三重県総合博物館MieMu(ミエム)
三重県津市一身田上津部田3060
Tel 059-228-2283
HP http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/

マルサ海産
三重県北牟婁郡紀北町長島1189-146
Tel 0597-47-1341

民宿 桃太郎
三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区古里1065
Tel 0597-49-3217
HP http://owase.com/momotaro/

株式会社 甚昇
三重県北牟婁郡紀北町長島1172
Tel 0597-46-3222
HP http://www.jinshomaru.com

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