三重県の最北部、岐阜県と滋賀県との県境に位置するいなべ市。
北に養老山地、西に鈴鹿山脈がそびえ立ち、その麓には自然と人が共存するのどかな里山が広がる。
いなべ市は年間を通じ比較的冷涼で、昼夜の寒暖差が大きい気候であるため、蕎麦の栽培に適している。この気候条件を生かし、2002年より常陸秋蕎麦という品種の栽培が始まった。
現在いなべ市内での蕎麦の生産面積は、約90haで三重県内で最も多い作付面積と生産量を誇っている。
???ローカル鉄道を降りると、出迎えてくれたのは広大で美しい自然。
いなべ市では、自転車を活用したまちづくり=「サイクルツーリズム」に取り組んでいる。近年では、日本最高峰の自転車レース「ツアー・オブ・ジャパン」を開催するなど、多くのサイクリストから注目を集め、街中でも豊かな自然を感じながらサイクリングを楽しむ人々を目にすることができる。
四日市市といなべ市をつなぐ三岐鉄道三岐線は、もともとは藤原岳で採れる石炭石の運搬用の鉄道として開通したが、現在では地元の人々の日々の生活や、サイクリストの移動手段としても活躍している。
今回は、電車に自転車ごと乗車できるサイクルパスを利用し、いなべ市の自然を満喫しながらいなべ市の蕎麦を求めようと思う。
三岐鉄道三岐線大矢知駅から乗車し、のどかな街並みや自然を眺めながら終点の西藤原駅に到着。
電車を降りてすぐに出迎えてくれるのが、藤原岳だ。標高1000メートルを超える山々の迫力は、まるで自分たちに迫ってくるようにさえ感じる。
「おいしい蕎麦屋はどこにあるのか?地元の人に聞くのが一番。」
早速、駅員さんにオススメの蕎麦屋を教えてもらい、サイクリングの途中に立ち寄ることに決めて出発した。
その蕎麦屋は開業してまだ2年ほどの新しいお店だが、地元の人のみならず県外からもお客さんが訪れるという人気店とのこと。
藤原岳を背中に、走ることおよそ10分。蕎麦畑が目の前に現れた。
9月下旬から10月初旬の時期は白い小さな花が咲き乱れ、青い空と緑の山とのコントラストがとても気持ちいい。
蕎麦の花畑を駆け抜け、蕎麦屋に向かう。この時期にしか体験することができないコースだ。
???三重県一のそば処、いなべ市の蕎麦とは。
自然を十分満喫し、お腹が空き始めたところで、駅員さんに教えてもらった蕎麦屋に到着した。
民家を改装した、どこか懐かしい雰囲気の店構えのお店。
一体どんな蕎麦が出てくるのか。
店内に入り、まず感じたことは「涼しい」こと。エアコンや扇風機では感じることのできない、心地いい風が吹き抜ける。子供の頃、田舎の祖父母の家に遊びに行ったことをふと思い出した。
ノスタルジックな雰囲気を感じながら、蕎麦定食を注文した。
「二八か十割どちらになさいますか?」
「蕎麦ののどごしを楽しむなら、二八。風味を楽しむなら、十割。」と教えてくれた。
風味を味わいたかった私は十割をお願いした。
メニューには、「ざる蕎麦の食し方」の手順が紹介されている。
1)まずは、蕎麦汁に浸けず、蕎麦だけを食し、香り、甘み、食感を楽しむ。
2)蕎麦汁を味わい、甘辛さを確認する。
3)蕎麦汁に一箸の蕎麦を、三分の一ほど浸けて食す。
4)薬味を蕎麦汁に入れず、薬味を蕎麦に少しのせて食す。そのあと薬味を入れて食す。薬味は少し残しておく。
5)蕎麦汁は最後に蕎麦湯で割って飲む。残しておいた薬味を入れて楽しむ。
蕎麦通ではない私にとって、このように蕎麦の食べ方をレクチャーしてもらえることはありがたい。これほど食べ方にもこだわりを見せる店主が打つ蕎麦へのこだわりは相当なものだろう。テレビで見るような頑固な蕎麦職人を想像していると、蕎麦が運ばれてきた。
「ざる蕎麦の食し方」の手順通りに蕎麦だけを食べてみた。蕎麦の爽やかな風味が口に広がる。そのあと蕎麦汁といただく。最後に蕎麦湯で割ってまた違った蕎麦の風味を楽しむ。ここへ来るまでに駆け抜けてきた蕎麦畑の景色を思い浮かべながら…。
蕎麦に詳しくない私だが、繊細な味わいが職人のこだわりを感じさせる。
???そもそも蕎麦屋をするつもりなどなかった。
一体どんな店主がどんな想いでこの蕎麦を作っているのか。店主にお話を伺うことにした。
「はじめは蕎麦屋なんてする気はなかったんや。」
店主の松下さんの第一声に驚いた。
「これまで父親が世話をしてきた山や畑を自分の代で終わらせてしまうわけにはいかん。この土地で採れた山菜や野菜を使った農家レストランをして、地元の野菜のおいしさを伝えながら、山や畑の世話をしていければと思って店を始めたんさ。家内の料理の腕ならお客さんにも満足してもらえる。蕎麦は定食の脇役程度でやってたら、なぜか蕎麦だけ一人歩きしていつの間にか蕎麦屋になってしまったんさ。」
「先祖から受け継いだ土地を荒らすわけにはいかない。蕎麦に限らず地元で採れた野菜をもっとおいしく、たくさんの人に食べてもらいたい」との想いで始められたのだ。
実は松下さん、いなべ市において蕎麦の栽培が始まった当時(2002年)、職員が中心となって結成された〈蕎麦の同好会「雅(みやび)」〉の立ち上げメンバーの一人なのだ。いなべ市に蕎麦の文化を根付かせるため、蕎麦打ちをはじめ、全国の蕎麦団体の勉強会に参加するなど、10年以上に及びいなべの蕎麦に携わってきた人物。今では蕎麦打ち三段の腕前を持ち、ここの蕎麦が口コミで広がる理由もうなずける。
最近では隣県の愛知、岐阜、滋賀からもうちの蕎麦を食べに来くるお客さんもいるのだと、嬉しそうに松下さんは語る。
天ぷらや小鉢の料理を担当するのは、妻の清子さん。
野菜や山菜は、できる限り自家栽培のものを使っている。
天ぷらは、ヒマラヤ岩塩と自家栽培の山椒の実をブレンドした自家製塩でいただく。岩塩の甘味の後に山椒の爽やかな香りが、天ぷらの味をより一層引き立たせる。
松下さん夫婦の地元で育つ食材へのこだわりとおいしいものを食べてもらいたいという想いが、たくさんの蕎麦通を満足させる蕎麦を作り上げているのではないだろうか。
???自然との共存。「循環」をめざして。
可能な限り自家栽培の食材を使うことをモットーにしている松下さんの畑を案内してもらった。
良い野菜を作るには、やはり良い土が必要。農業は全くの素人だった松下さんは、市役所を退職後、父親や近所の農家から多くのアドバイスをもらいながら見よう見まねでなんとか今の畑を作ることができたそうだ。ナスやカボチャをはじめ、ご自身でも把握しきれないほどの種類の野菜を育てている。
「良い土と言っても、野菜と一緒で手間暇かけて育てやなあかん。その土に合った堆肥を混ぜて、ほくほくの土にしたらな良い野菜は育たへん。」
松下さんはそう話しながら、次に裏山を案内してくれた。
裏山では主にしいたけや山椒、みょうがなどの山菜を育てている。
そして松下さんはここで私たちに面白いものを見せてくれた。
「今取り組んでるのが、これ。蕎麦殻を堆肥にしてさっきの畑の土を育てたいんさ。地元で育った蕎麦の殻を堆肥にして土に戻す。そしてその土で野菜を育ててまた食べる。」
まさに「自然の循環」である。
「先祖から受け継いだ土地。そしてそこに根付く食材や人々。それには必ずつながりがある。昔からあるその土地の資源を守り、どうやって今に活かすかが大切なんやと思う。」
そう語る松下さんの言葉には、大地の恵みをもらいながら、自分たちにできる大地への恩返しをしていきたいとの想いが詰まっているように感じた。
そこで暮らす人が想いを込めて打つ一杯の蕎麦。
その蕎麦を雄大な自然の中でいただく。
そこでは本来あるべき自然と人間のつながりを垣間見ることができる。
???疲れた体を癒してくれる、スイーツ。
サイクリングで疲れた体には「スイーツ」が欠かせない。
今回の取材で訪れたいなべ市のもう一つの名産品に「お茶」がある。
「いなべのお茶を1人でも多くの人に知ってもらいたい」との思いで茶生産組合、市観光協会やいなべ市商工会、市内外の飲食店が市内各地でいなべのお茶を使った様々なプリンを販売している。
その名も「いなべの茶っぷりん」。
蕎麦をいただいた帰り道、立ち寄ったパン屋。ここの「茶っぷりん」は、パンがベースとなったパンプディング。お茶と小麦の風味が食欲をそそる、とても腹持ちのいいプリンである。
自然に囲まれたお店での優雅なティータイムが、疲れた体を優しく癒してくれる。
自然豊かないなべ市で、地元グルメを楽しむサイクリングの旅はいかがでしょうか?
(2017年9月25日取材)
企画編集:三重に暮らす・旅するWEBマガジンOTONAMIE運営本部
取材:佐藤 成章(OTONAMIEアドバイザー)
取材協力
山里乃蕎麦家 拘留孫
三重県いなべ市藤原町篠立771-2
Tel 0594-46-3181
定休日:水・木・金曜休
三岐鉄道株式会社
三重県四日市市富田3丁目22-83
Tel 059-364-2141
HP http://www.sangirail.co.jp/
cafe Attente (カフェ アタント)
三重県いなべ市藤原町山口1950-1
Tel 0594-46-4800